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第三章:甘美なる堕落

Author: 佐薙真琴
last update Last Updated: 2025-12-04 18:58:33

 翌週、周子の変化は周囲にも気づかれ始めた。

 まず、同僚の山田が声をかけてきた。

「瀬川さん、最近大丈夫? なんか、疲れてない?」

「大丈夫よ」

 周子は作り笑いを浮かべた。でも、鏡を見れば自分でもわかる。目の下に隈ができている。肌の艶もない。

 睡眠時間が削られていた。柊からの連絡は、いつも深夜だった。そして、周子はその度に出かけていった。

 仕事中も、集中力が続かなくなった。企画書を書いていても、柊のことが頭から離れない。

 携帯電話が鳴る度に、心臓が跳ねる。

 これは、恋なのだろうか。

 いや、違う。恋ならもっと幸せなはずだ。

 これは、依存だ。

 周子は自分が柊に依存し始めていることを自覚していた。でも、止められなかった。


 ある夜、裕一が周子のマンションを訪れた。

「周子、ちょっと話がある」

 裕一の表情は、いつになく深刻だった。

「......何?」

「最近、おかしいよ。君」

 周子は動揺を隠そうとした。

「おかしいって、何が」

「デートをドタキャンすることが増えた。電話しても、いつも上の空。僕のこと、もう好きじゃないんじゃないか」

「......そんなことない」

「嘘だね」

 裕一の声は、珍しく厳しかった。

「君、誰か他に好きな人ができたんでしょ」

 周子は答えられなかった。

「......ごめん」

「やっぱり」

 裕一は深くため息をついた。

「僕じゃ、君を幸せにできないのかな」

「そうじゃないの。あなたは、何も悪くない」

「じゃあ、何が悪いの?」

 周子は言葉を探した。

 でも、説明できることではなかった。どうやって説明すればいい? 私は、自分を壊してくれる男に惹かれている、なんて。

「......私が、悪いの」

「周子......」

「ごめんなさ

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  • 愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~   第三章:甘美なる堕落

     翌週、周子の変化は周囲にも気づかれ始めた。 まず、同僚の山田が声をかけてきた。「瀬川さん、最近大丈夫? なんか、疲れてない?」「大丈夫よ」 周子は作り笑いを浮かべた。でも、鏡を見れば自分でもわかる。目の下に隈ができている。肌の艶もない。 睡眠時間が削られていた。柊からの連絡は、いつも深夜だった。そして、周子はその度に出かけていった。 仕事中も、集中力が続かなくなった。企画書を書いていても、柊のことが頭から離れない。 携帯電話が鳴る度に、心臓が跳ねる。 これは、恋なのだろうか。 いや、違う。恋ならもっと幸せなはずだ。 これは、依存だ。 周子は自分が柊に依存し始めていることを自覚していた。でも、止められなかった。 ある夜、裕一が周子のマンションを訪れた。「周子、ちょっと話がある」 裕一の表情は、いつになく深刻だった。「......何?」「最近、おかしいよ。君」 周子は動揺を隠そうとした。「おかしいって、何が」「デートをドタキャンすることが増えた。電話しても、いつも上の空。僕のこと、もう好きじゃないんじゃないか」「......そんなことない」「嘘だね」 裕一の声は、珍しく厳しかった。「君、誰か他に好きな人ができたんでしょ」 周子は答えられなかった。「......ごめん」「やっぱり」 裕一は深くため息をついた。「僕じゃ、君を幸せにできないのかな」「そうじゃないの。あなたは、何も悪くない」「じゃあ、何が悪いの?」 周子は言葉を探した。 でも、説明できることではなかった。どうやって説明すればいい? 私は、自分を壊してくれる男に惹かれている、なんて。「......私が、悪いの」「周子......」「ごめんなさ

  • 愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~   第二章:禁断の扉

     それから一週間、周子の生活は表面上、何も変わらなかった。 毎朝七時に起床し、いつも通り出社する。クライアントとのミーティング、企画書の作成、チームメンバーへの指示。完璧に仕事をこなす瀬川周子。 裕一とも、何度か会った。いつものレストランでディナー。いつものような会話。結婚式の話、新居の話、将来の計画。 すべてが、いつも通り。 でも、周子の内側では、何かが変わり始めていた。 それは、小さな亀裂のようなものだった。完璧に作り上げられた自分という器に、ひびが入っていく感覚。 そして、その亀裂から、抑圧されていた何かが漏れ出してくる。 金曜日の夜。周子はまた『Midnight Blue』を訪れていた。 もう三度目だった。理由はわからない。ただ、あの店に行けば、柊がいるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。 でも、今夜も柊の姿はなかった。 カウンターに座り、ジントニックを注文する。バーテンダーは、もう周子の顔を覚えていた。「最近、よく来るね」「......ええ」「あの人を待ってるの? 冬木さん」 周子は驚いて顔を上げた。「......なんで」「わかるよ。あの人と話してから、君の目が変わった」 バーテンダーはグラスを磨きながら言った。「忠告しておくけど、あの人には近づかない方がいい」「どうしてですか」「彼は、人を壊すのが好きなんだ。特に、君みたいなタイプの女性を」「......私みたいな」「完璧主義者。自分を厳しくコントロールしている人。そういう人が壊れる様子を見るのが、彼の趣味なんだ」 バーテンダーの言葉は、柊自身が言ったことと一致していた。「わかっています」 周子は静かに答えた。「でも、止められないんです」「......そうか」 バーテンダーは悲しそうな目で周子を見た。「君で三人目だ」

  • 愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~   第一章:運命という名の罠

     翌朝、周子は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。 天井を見つめながら、昨夜のことを思い出す。あれは夢だったのだろうか。でも、バッグの中には確かに柊の名刺が入っている。 シャワーを浴びて、いつも通りスーツに着替える。鏡に映る自分は、いつもの瀬川周子だ。完璧に整えられた髪。薄く施したメイク。皺一つないブラウス。 でも、目の奥に何か違うものが宿っているような気がした。「気のせいよ」 周子は鏡に向かって呟いた。 朝食は摂らずに、マンションを出る。駅までの道のりを早足で歩きながら、今日のプレゼンのシミュレーションをする。 電車の中でも、資料を確認する。完璧だ。問題ない。 でも、心のどこかで、柊の声が響いている。「君は、本当は壊れたいんだろう?」 違う 周子は首を振った。隣に座っていたサラリーマンが、不審そうにこちらを見た。 午前十時。プレゼンルームには、クライアント側から五人の役員が揃っていた。 周子は深呼吸をして、プレゼンを開始した。 新商品「エターナル・グロウ」は、三十代女性をターゲットにした高級化粧品ライン。コンセプトは「永遠の輝き」。 周子の説明は淀みなく、データに裏付けられた説得力があった。市場分析、ターゲット層の心理プロファイル、競合比較。すべてが完璧にロジックで構築されている。 そして、クリエイティブ案。 スクリーンに映し出された広告ビジュアルは、美しかった。夕暮れの海辺で、一人の女性が鏡を見つめている。彼女の表情は、どこか憂いを帯びていて、それでいて強さも感じさせる。 キャッチコピー:「あなたの光は、消えない」「......素晴らしい」 クライアントの社長が、感嘆の声を漏らした。「瀬川さん、このビジュアルは、どういう意図で?」「三十代の女性は、社会的にも私生活でも、多くの役割を担っています。仕事、家庭、自己実現。その中で、自分自身を見失いそうになることもある。でも、彼女たちの内側には、決して消えない輝きがある。それを引き出すのが、この商品です」「なるほど......。でも、ちょっと暗くないかな。もっと明るく、ポジティブな印象の方が」 周子は予想していた反応だった。「実は、A案として、もう一つご用意しています」 次のスライドを表示する。こちらは明るい陽光の中で、笑顔の女性が商品を手にしているビジュアル。「

  • 愛の果てに咲く花 ~壊れゆく完璧な檻~   序章:完璧な日常の亀裂

     窓の外に広がる東京の夜景が、まるで宝石箱をひっくり返したように瞬いていた。二十八階建てのオフィスビル。瀬川周子は自分のデスクから、その煌めきを眺めながら、また一つため息をついた。 時計の針は午後十一時を指している。周囲のデスクはすでに無人だ。静寂の中、キーボードを叩く音だけが響く。 画面に映し出されているのは、明日のプレゼン資料。大手化粧品メーカーの新商品キャンペーン。三ヶ月かけて練り上げた企画が、ようやく形になろうとしていた。「完璧だわ」 周子は小さく呟いた。資料の隅々まで目を通し、誤字脱字がないことを確認する。レイアウトのバランス、配色、フォントの統一性。すべてが計算され尽くしている。 これが瀬川周子という女性だった。 明治大学経営学部を首席で卒業し、大手広告代理店・東都アドに入社して六年。同期の中で最速でシニアプランナーに昇格した。クライアントからの信頼も厚く、社内では「氷の女王」という異名で呼ばれていた。 冷たいのではない。ただ、感情を表に出さないだけだ。 仕事は完璧にこなす。プライベートも整然としている。三年付き合っている婚約者・大塚裕一は、同じ業界で働く安定志向の男性だ。来年の春には結婚する予定になっている。 すべてが計画通り。すべてが完璧。 なのに――。「......なんだろう、この感じ」 周子は自分の胸に手を当てた。心臓が規則正しく鼓動している。異常はない。体調も良好だ。 でも、何かが足りない。 満たされているはずなのに、どこか空虚な感覚。それは最近、特に強くなっていた。裕一とデートをしているときも、友人と食事をしているときも、この違和感がつきまとう。「疲れてるのかな」 周子はパソコンをシャットダウンし、バッグを手に取った。明日のプレゼンに備えて、早く帰って休もう。そう決めたはずだった。 でも、足はエレベーターホールではなく、非常階段の方へと向かっていた。 深夜のオフィスビルの階段は、昼間とはまったく違う表情を見せる。非常灯の薄暗い光。コンクリートの壁に反響する足音。ひんやりとした空気。 周子は階段を降りながら、自分でも理解できない衝動に駆られていた。 帰りたくない。 いや、正確には「あの完璧な部屋」に帰りたくないのだ。白を基調とした清潔なマンション。整然と並んだ家具。一つの乱れもない生活空間。 あそこ

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